2004年08月10日

ネット社会に人権はあるか?

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相も変わらずオンラインゲームに興ずる毎日なのですが
何が面白いってネットの中でも人間関係がいろいろあり、普段付き合わないような種類の人達とコミュニケーションが図ることが可能なとこでしょう。
クランの中に女の子がいるんだけど、またその子が痛いワケ(w 
すぐにテンパって
「なんで」「なんで」「どうして」
って連発してくるの。
まぁ、直接被害が無いから良いけど、盟主は大変ですよ。

この辺の話はまた酒の席にデモするとして・・(引くか?
本題に入る。
クランで高校生の子がいて、宿題で「人権」について作文をかけというのがあるらしい。
そこで
「ネットに人権はあるのか?」
というテーマを提示したところ
「ソレいただき!」
となりました。(笑

彼は進学校の受験生なので、そんな作文書いたら先生におこられないかなぁ?
「受験生がネットゲーなんてやってるんじゃない」
ってね。
私としては是非実行して先生の反応が知りたい。
いまや時代はネット内におけるコミュニュケーションを無視できないところまできていると思う。

とかなんとか、
こんな話は主題ではないのだ。
本当は“作文”について書きたかった。
小学生、中学生の頃、作文ってきらいじゃなかった?
私はすごくきらいだった。
じゃあ、何故現在こんな形で作文めいたことをしているのだろう??
昔から、自分の考えを世間に知らしめたいという願望があった。
本を読むのが好きな子供だったので知識をひけらかしたいなどという自己顕示欲による困った願望である。
だがしかし、
その頃大人は絶対の地位にあり、力の無い子供は大人の顔色をうかがって生活しなければならなかった。
作文に本当に書きたいのは
危険な遊びをしたこと (冒険)
危険な思想 (子供の言う事ですから・・)
先生や大人に対する不満 (面白い遊びはすぐに禁止される。)
どれもこれも書いたら怒られること必須の内容ばかりだ。
本当に書きたい事は書けずに、先生の気に入りそうな内容をなんとかひねり出して形にする。
これじゃあ、作文なんて嫌いになってもしょうがないでそ。

本でもそうですよ。
課題図書なんて、全然読みたくないものを無理やり読まして感想を強要する。
つまらなかったのに感動したような感想文をかかなければならない。
本当に感動したときこそ感想文を書くべきである。
2chに良く見られる。本の悪口。わざわざ読んであらを探して批評する。
悪しき教育の歪みがこんな形で形而上化してしまうのであろう。

ネットに置ける匿名性
これが自分の意見をさらすクッションになっている。
誰が言ったのかわからない事で
無責任な発言もできる。
殺人事件にも発展してしまった例もあるが
ネットに置ける暗黙のルールも確立しえない現状では
更に起こるであろう悲劇の幕開けでしかない事は誰も目にもあきらかだ。
ネットに置けるコミュニティは幼年期を迎えたに過ぎない。

ネットゲーにおいても心無い少数の人達によって
引退せざるを得ない状況に陥ってしまった人もいる。
それも身近な人だったりする。
「ネット社会における人権」
この壮大なテーマに奮闘を祈る。

[この作文における評価]
主題がはっきりしていないので読みにくい。
ひとりよがりな文章でテーマが二転三転する。
最初にかきたいことを決めてから順序良くかきましょう。


  (ノ'□')ノALL KILL〜
posted by Θzawin at 16:44| Comment(4) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月03日

大施餓鬼

803
7月31日
 専願寺の大施餓鬼(だいせがき)にいってきました。
誰が言い出したかわかりませんが、専願寺にお参りをすると故人に会うことができるというのです。また、本堂の西にある古井戸をのぞくと、故人の顔が見ることができるそうな。
初盆の人達が、東三河を中心に、各地から大勢の人がお参りに来ます。たくさんの露店が立ち並び、ほおずきやかき氷を買う人でにぎわいました。
 尾鷲に単身赴任していた姉貴の旦那がいたのでわざわざ帰ってきたのかと聞くと、知立に転勤になってこちらにいるとの事。甥っ子が知らせたとばかり思ってたらしいので親父共々初耳チック。尾鷲に甥っ子とキャンプに行くという親父の夢ははかなくも消えてしまったのデス。
おりしも台風接近の中、天気が不穏な感じでしたが日ごろの行いがいいのか順番待ちの間は特に激しく降ることも無く、無事供養することができました。その後激しく降りだしていたのであぶないところでした。
供養は深夜まで行われるそうです。

《由来》
 1361年にはじまった南北朝の争いで命をなくした人たちの霊を供養したのが大施餓鬼の始まりだと伝えられています。その後、地元の人びとの願いを入れて、初盆の供養をおこなうようになり、いつのまにか、こちらが中心になったのです。大施餓鬼のとき供えられる品物は、貧しい人びとに分け与えられました。これは、魯念和尚(ろねんおしょう)という人がはじめました。
 このような、貧しい人びとへの思いやりが、大施餓鬼のにぎわいを作ってきたといえるでしょう。

 その後、姉貴一家と親父とで牛角に焼肉を食べに行きました。
なにげに頼んだ卵スープがやけに美味くてびっくり。いあ、驚いたら失礼ですが・・・。
コクがあってまったり。(ぷち美味しんぼ) 
あと、親父が酎ハイを頼んだときに係りのおねいさんが
「サワーですか?何サワーでしょう?」
といった対応だったが、親父の世代にサワーなんて言葉は無く焼酎にキリンレモンをぶっこんだのが酎ハイなので当然親父の対応も
「炭酸が入ったやつ」
となったのもいなめない。
ジェネレーションぎゃっぷを感じるひととき。
posted by Θzawin at 11:10| Comment(3) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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