
夕凪の街桜の国
こうの 史代 (著)
昭和30年、灼熱の閃光が放たれた時から10年。ヒロシマを舞台に、一人の女性の小さな魂が大きく揺れる。最もか弱き者たちにとって、戦争とは何だったのか……、原爆とは何だったのか……。漫画アクション掲載時に大反響を呼んだ気鋭、こうの史代が描く渾身の問題作。
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非常にいまさらという感がしないでもなかったのが本音だった―――
正直、ヒロシマのことなんて忘れていた。
湾岸戦争にアルカイダ、中国の日本の過去に対する憤りなど
すべてが対岸の火事であり現実味はなかった。
平和ボケっていう奴かな?
そんなボケボケな自分にこの本はきつかった。
この作品を読んだときに
他の戦争体験的な話とはあきらかに違うものを感じた。
「ヒロシマ」で犠牲になった人がただ可哀想だと思う気持ちとは違うナニカでいっぱいになった。
自分でもその感情は何なのかわからない。
話は3部からなり
『夕凪の街』
『桜の国(I)』
『桜の国(II)』
です。
最初の『夕凪の街』これだけ読むとあまりに救いがないのですが
後の二編は 昭和と平成の東京が舞台となり前向きに生きていこうとする孫の姿が描かれており物語に一条の光を差し込むことになります。
そして現在から過去へ物語をつないでいきます。
この三篇を繰り返し読みにいたって少しだけ筆者の言いたいことが解かってくる様な気がしました。
作品の中で“生き残ってしまったという罪悪感”というものがたびたび語られるが
自分はうまく想像できない。
以下の引用に近い感覚なのかなぁと思う。
アウシュヴィッツから奇跡の生還を果たしたイタリアのユダヤ人作家プリーモ・レーヴィは、1987年に謎の自殺を遂げた。
彼は、インタビューで“収容所からの生還者が一様に罪の意識を口にするのはなぜか? 被害者でしかない彼らにいったいなんの「罪」があるというのか?”と質問され、次のように答えている。
我々の誰もがある種の居心地の悪さを覚えており、そしてこの居心地の悪さに自分たちで〈良心の呵責〉というレッテルを張り付けたのです。(中略)誰かの代わりに自分が生きている、という感覚なのです(『プリーモ・レーヴィは語る』青土社)
posted by Θzawin at 04:29|
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