先日、ひさしぶりにコ○ンを見る機会があった。
そして、トリックに驚いた。
だが驚愕のトリックと言う訳ではない。(ある意味驚愕ではあるが・・。)
そのトリックとは、“実は双子の兄弟がいて、入れ替わっていた”という物であった。(@@
・・・絶句。
平成だよ?
そんなトリック今時誰も使わないってゆーか、アンフェアでしょ。
ノックスの「
探偵小説十戒」の中でも謳われている事項ですね。
まあ、マンガの話ですからどうでもいいことですが、
(観てる人は謎を解きたいとは思ってないかもしれない)
特に自分もそんなことに御立腹というわけではないのである。
「今時そんなトリック使うんだなぁ〜」
と思っただけ。
「コ○ンが実は中国人だった!」
とかだったらもっと驚いたかもしれない。はは・・・(乾いた笑い
実は双子の入れ替えをネタにした傑作なミステリを思い出したのです。
本題はココ。
ちっと長い前振りでしたね。
その本とは森博嗣の「そして二人だけになった」です。

なんかどっかで聞いた題名ですが、
アガサクリスティの作品とはまったく相似するとこはありませんのでご注意を。(何に?
双子トリックと書いてネタバレになっているわけではありません。
二組の双子が入れ替わっているという前提で話が進行していくわけです。
入れ替わった二人の視点で交互に話が進んでいくわけで、こういった時は叙述トリックが仕掛けられていたりするので注意が必要なのですが、案の定騙されます。ある仮定にまではいきつくのですが・・サスガといった感じです。
これ以上書くとネタバレになるので控えますが、読後のカタルシスはなかなかのものです。
双子トリックものとしてはミステリ史に残ってもいいのでは?と思うほどです。
氏の他のシリーズとは独立した話なので、森博嗣を読んだことが無いといった人でも大丈夫なので是非一読をされたし。
閑話休題
ところで“リドルストーリ”って言葉をご存知でしょうか?
(閑話休題と言いながら“ところで”って入れるのは完全に意味が重複してないだろうか?きっと閑話休題の正確な使い方も合ってないよな気がするしね。と、どうでも良さそうなことをつらつらと書いてしまう。そんな秋の夜長。)
いわゆるラストを読者に委ねる話というか、ラストを敢て書かずにおくことで話の奥行をもたせるような、そんなストーリのことです。
有名な話で
『女か虎か?』ってのがあります。
映画の『ショーシャンクの空に』においても原作ではラストの部分は書かれてなくて“希望”をいうテーマに膨らみを持たすことに成功していると思います。映画版でのラストは賛否両論らしく、蛇足との声もあるようですが・・・。
まあ、視覚情報というのは馬鹿に出来ないので、本を読んだ後に余韻を楽しみながらいろいろ想像することはできますが、映画館ではラストの余韻に浸る暇もなく予告編が始まったり、他の客がぞろぞろ移動したりしますからねぇ。
結局なにが言いたいのかというと、映画でも本でも、もっと考えさせる余地が有るものもあってもいいかと思うわけです。
(すべてを説明されないと気持ち悪いといった性格の人もいるとは思いますが。)
映画においては『閉ざされた森』などがリドルストーリ的な要素が含まれていて成功している感じでしょうか。気をつけて観てないと(積極的に自分でもいろいろ憶測したりしないと)面白さが半減してしまいます。
森博嗣氏の作品ではこういった“リドルストーリ”的な要素も多々あり、そのあたりが“ソソル”のかもしれません。
今回紹介した『そして二人だけになった』の中にもそんなことがあったような無いような・・・・
大分前に読んで人に貸したままなので、また読んでみようかな〜
posted by Θzawin at 17:28|
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