2006年04月01日

徳山村は地図の上から消された

 
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一九八七年、三月三一日、徳山村は地図の上から消された─

 これはあるおばあちゃんが撮りつづけた徳山村の記録です。
 徳山村がダムで沈むことになり、「戦争で行方不明になった夫が戻ってきた時に、在りし日の村の姿を見せてあげたいから」という気持ちから、フィルムの入れ方さえわからなかった増山たづ子さんは、初めてのカメラ、「ピッカリコニカ」を手に、61歳にして猛然と写真を撮りはじめたのです。

 そんな増山たづ子さんは今ついこの間、3月7日に 亡くなられました。享年88歳でした。

 TVで訃報を聞いたときに数年前に徳山村へツーリングへ行ったときの光景が思い出されました。その時は廃村の状態でありながら工事の着工が決まらず、電気も通ってない村にかっての住人が戻って住んでいたのです。村が在る内は住んでいたいという気持ちなのでしょうか。いつか水没する運命のふるさとに住む人達の気持ちを考えると、興味本位でツーリングに来てうろちょろしている自分達がちょっと後ろめたかったのを覚えています。そんな頃ににもおばあちゃんは写真を撮り続けていたんでしょうね。

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      旧徳山小学校跡

 旧徳山村民を離村に追い込んだにもかかわらず、利水にも、治水にも、環境保護にも役立たない危険で莫大な財政負担をもたらすという反対派の意見もあり着工が遅れながらも現在ダム自体は完成しており、今秋に入水を始め試験にはいるそうです。
工事現場にも訪れ写真を撮り続けた増山たづ子さんの胸中は想像することもできません。
家族は「水がたまるところを見届けたかったのではないか」と思いやった。
という記事を目にしたが、本当にそんな物を観たかったのでしょうか?

沈む前にもう一度徳山村を見ておきたいと、いてもたってもいられず一人向かったのですが
結果は前出のとおりです・・・・orz


【追記】
 関連した記事の中ですごく感銘を受けた文章を転記します。

そして、ついにダム建設が始まり、巨大な建設機械が村に入ってくる。のどかで平和な村を象徴するような一本の桜の樹。折りしも満開を迎えたその桜をパワーショベルが切り倒そうとしている写真がある。断末魔の悲鳴をあげるかのように、辺り一面に花びらが舞っている。この写真を前にすると、こみ上げていた気持ちが一気に噴き出し、我が身を切られるような痛みを感じて言葉を失う。

 村人が一軒また一軒と村を出てゆき、やがて、たづ子さんも住み慣れた故郷を後にした。ダムは現在もなお建設中だが、その必要性を疑問視する声も多い。

 蛇足になるが、この写真集は、写真作品として見ても一枚一枚が実にクオリティが高い。もちろん、たづ子さんは写真の勉強など一切しておらず、どれもがピッカリコニカで撮影された写真である。写真とは何なのかについて考えさせられる一冊でもある。
       
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  ご冥福をお祈りします。


posted by Θzawin at 15:46| Comment(1) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
きのうぱうえるが、コニカと声っぽい試験しなかったよ。
Posted by BlogPetのぱうえる at 2006年04月03日 12:06
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