2006年11月01日

手紙/東野圭吾


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明日朝早いのについつい4時まで起きて読んでしまった。
「強盗殺人犯の弟」という運命を持ってしまった主人公がたどる過酷な運命を読むにつれ、寝るタイミングをのがしてしまったのだ。
いつか浮かばれることはあるのだろうか?罪を償うということの意味とは?
先が気になってしょうがなかった。
「強盗殺人犯の弟」というレッテルを貼られた主人公が幸せになれるのか、または幸せになる資格があるのか?
実に深いテーマである。野沢尚著の『深紅』で殺人犯の娘と被害者の娘との接触を書いている。それと読み比べるのも一項かと思うが、この作品は映画になるようで、明後日から公開される。
実は前売りをすでにネットで買っていたりする。
作品中でミュージシャンを目指す主人公が映画ではお笑いを目指すことになっていたり、ラストで影響がある変更点が興味深い。


作品中ですごく気になった主人公に投げかけられる言葉があった。

差別はね、当然なんだよ。
犯罪者やそれに近い人間を排除するというのは、しごくまっとうな行為なんだ。

我々は君のことを差別しなきゃならないんだ。
自分が罪を犯せば家族をも苦しませることになる――
全ての犯罪者にそう思い知らせるためにもね。


差別ということを肯定しているこの発言はショッキングだ。
自分等は差別はいけないと教えられて来た訳だが、現実に置いて差別は当たり前のようにあった。
しかし、差別を肯定する言葉を見るのは初めてかもしれない。
その言葉を読んで何故かディスティ・ノヴァ教授の言葉を思い出していた。「宿命というものは確かにある」という言葉だ。

宿命というものは確かにある
人は場所・時代・環境を選んで生まれることはできない・・・ゆえに生まれた瞬間にそれぞれの人間の生きる条件は異なっている。
これが宿命です。
そして世界が残酷なのは当たり前のことです。
生の始まりは化学反応にすぎず、
人間存在はただの記憶情報の影にすぎず、
魂は存在せず精神は神経細胞の火花にすぎず、
神のいない無慈悲な世界でたった一人で生きねばならぬとしても・・・なお・・・

なお 我は意思の名の元に命じる

「生きよ」と!!















posted by Θzawin at 16:58| Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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